a desolate station

無人駅

何者にもなれないという呪いについて

それを自覚したのはもう小学生の3-4年生くらいの頃だったはずなので、随分と早い気づきだと思うのだけれど、その時の絶望は表には出ない代わりに結構酷いものだった。

 

『私は何者にもなれない』

 

ということ。

『何者』というのは随分と曖昧な表現なのだけれど、『有名人』というもので置き換えてもらえればいい。ウィキべディアで記事が書かれるくらい……そこまでは行かなくても、ネットで検索すればそれなりに他者から言及された情報が出てくるような。

 

芸能人になりたかったわけじゃない。役者に憧れた時期もあるし今でもその分野で活躍する人に尊敬はあるのだけれど。

 

私がなりたくて、今もずっとなりたいと密かに抱え続けている欲望は『作家になること』だ。

その延長線で、役者に憧れたりもしたわけだ。

 

 

これさえ叶えばもうあとはとりわけ何か望むものがあるわけではないのだ。

作家になりたい、それだけなのだ。

あの人は作家だ、と兼業であってもそれが言ってもらえる人間になりたい。

 

と、ここまでくると少し有名人になりたい、というものとは違ったのかな、と思う。

私はただ……この世界で、有象無象で終わりたくないだけなのだ。社会の営みを支える生きては死ぬ大多数の一人で終わりたくない。誰かに私のことを知ってほしい、認めてほしい。

そういう巨大な承認欲求を抱えている。

それを晴らす手段として選んだのが、作家だった。

 

作家になりたいのが先だったのか、自分以外の、知人以外の誰かに『私がここで生きて死んだこと』を知ってもらいたい……というのが先だったのかはよくわからない。

同時に芽生えた欲望だったかもしれない。

ただ、今では一冊でも残る形で流通書籍として私の書いた物語を残し、私が生きていた証にしたい、というのが明確に残った欲望だ。

それができないと、正直死んでも死に切れない、という気持ちがある。多分、化けて出る。

 

そして小説というか、物語を書き始めたのは小学三年生くらいの頃からなのだけれど、もう、すぐさま、私は自分に才能というものがないってことがわかった。

 

ある一定のものは書ける。ただ多分……商用には至らない。需要がない。

学生の頃、小さな学生向けの文学賞をいただいたことがあるけれど、そこでも大賞をとることだけはなかった。

 

喜びはあった。もちろん。けれどその程度の能力だ、と言われている気がした。

誰かを強くゆさぶれる能力が、私にはない。

 

うん、多分ここまでは行けるんだね。でもその先はないんだね、と。

大多数の人にそれを商業的に公開してもいいと思われるような、そこまでの能力はない。

 

それに気づいた時からもうなんとかしてこの自覚というか呪いと戦う人生が始まることになった。

私の人生は正直、この呪いに勝つために費やされているといってもいい。

呪い、なんていう強い言葉を使ったけれど、正直そうであればいいな、という気持ちで言っているだけだ。

ちょっと酔ってるし、今だに中学生の頃に発症した病状を拗らせているから。

それくらい気取ってないとやってられない。

 

だからと言ってずっとひたすら何かを書き続けているというわけではないのだけれど……もちろん欲望に勝てずにゲームだってするし小説読んだり漫画も読むし何よりすぐに寝てしまうし。

ストイックに努力する能力もまた、私に欠けたものなのだろうね。

でも何をしていても脳みそにこびりついているから、これを私の生涯の呪縛なのだ、と思うくらいはいいだろう。

 

作家になりたいなんて恥ずかしくて口にも出せない。友人や家族に言えるはずもない。

それが臆面もなく言える人間だったら、多分、とっくに少しは成功しているはずだ。こそこそやって成功するなら、それだけ才能ってものがあったってことだろうし。

私が小説を書いていることはみんな知っている。昔はすごいね、将来は作家だね、なんて言われて到底なれるなんて思えなくて曖昧にわらってたし、いまは作家になりたいの? と訊かれれば「ただの趣味ですよぉ」と防御壁を張るようになった。

趣味なわけねえだろ、こっちは半ば人生かけてるわ。ただの趣味だったらどんなによかったか!!

 

もうね、いまはネットで小説を公開したりして、それが書籍化されたりするわけで。僻みがすごい。この人たちと私と、一体何が違うんだ????って日々憤ってる。私だってそれなりに面白いものを書いてると思うよ。いや、どうしてこうなったってのも量産することもあるんだけども。全部が全部納得いくものが書けてるわけじゃないけど。それはきっと誰だって同じじゃないの??

目にするたびに自分に絶望して悲観して、書いては捨てて。

筆が早ければまたそれはそれで需要になっただろうにそれすらもない。

このまま死ぬのか?? まじで??? って言いながら26になった。

私の好きなジャンルとか描きたいジャンルは結局若さがある程度必要だと思っていて、まだ大丈夫、まだ、まだ、って言いながらきっとすぐに30になって、その時に私が目標に達してなかったら一体どうすればいいんだろう。

そんなこと言いながら、私はきっと死ぬ。

作家になりたかったって言いながら、死ぬ。

 

そういうわけで、少しでもネタになるものを探して、自分の能力のなさを補いたくて、嘆いて、いま私はとうとう海外にまで来てしまっている。

バカだと思う。いやまじでただの馬鹿。色々理由をつけて出てきたんだけど、結局終始するのは『作家になるために』ってことなんだよ。

もうほぼ自分探しだよ。いやそれがなにがわるい??って感じではあるんだけど。

ここまでしても、多分何も変わらないのはわかってた。行く前から。私は私でしかないし、私の視点しか持ってないし、面白いことを見つけられる人は、日本にいる時点で世界の見え方が違っている。

 

ほら、初めて小説を書きました〜とかいう人間が、そのまま出版されたりするじゃないですか。もう一回殺したいくらい。その幸せ、どれだけ私が望んでるのか分かってんのか???って。

あれだね、お母さんとかお姉ちゃんに履歴書送られてアイドルになった、みたいな。それが本命だったわけじゃ別にないんだけど、っていう。

あ〜〜〜〜〜百万遍死んでくれ。

頼む。

その人が悪いはずがないし十割で私にしか問題はないんだけど、反射的に死を願うよね。

それが私の書きたいものを類似してたりしたら憎しみがもう……どうすればいいんだ???どうすれば????

イデア自体は良かったってことだろ??じゃあ他の問題はなんだよ。

 

頼む、だれか助けてくれ。

 

って、その一言をだれか、としか言えなかったら、今の何者にもなれてない現状があるんだろうけど。

 

そしてまた、だれかって言いながら、誰にも見られない記事を書いている。

見られてなくても、吐き出したかった。

もしかして誰かに(ほんとこういう言い方しかできない、だれか、とか、馬鹿じゃないのと思うんだけど)、少しでも共感してもらえたらいいなあ、とか。

ちょっとでも私の小説覗いてもらえたらいいなあ、とか。

 

いるかも知れない誰かに向けてURLを貼っておくので、よければ。見て。

 

撞着する手のひらの崩壊(BL)

https://novel18.syosetu.com/n0415ep/

 

虚の巫女姫と<サイ>の誓約(少女小説)

https://ncode.syosetu.com/n0483ez

 

 

どちらもなろうで書いてます。

撞着は改稿で詰まってていつ終わるのか不明。

エロなしは完結してるんだけども。

虚は改稿しないままupするので、近日中に完結します。

撞着はBLだから、注意してね。注意してね。

虚は現代異類婚姻譚です……。

大好き、異類婚。

 

もし読んでくれる方がいたなら、私に何が足りないのか、けちょんけちょんに貶してくんないかな。

 

いまそんなことをさあ……いい年した大人がさあ……カナダでぐだぐだぬかしてんの。信じられる?? カナダに来てまでやることがこれなの。もう地獄みたい。

 

では。